小説を読むこと
中学生の時、ひそかに尊敬していた先輩から、新刊小説の投げ込みチラシをもらった。
先輩は、言うことがおもしろいので、いつも人の輪ができてにぎやかだった。
一方で、一人教室の窓辺に腰かけて小説を読んでいることがあり、反面では知的な佇まいに私は憧れていた。
チラシは、私にとって特別なものになった。
デミアン、武器よさらばなど、夏の100冊だったか、小説として初めに読んだ本の数冊が紹介されていた。新潮文庫へのこだわりも、今思えばそのチラシの影響だ。
よく、夜寝る前に小説を読んだ。ファウスト、へルマン・ヘッセの郷愁は、人間味があってかつ美しい世界観を教えてくれた。
先輩と小説について話すことは一度もなかったけれど、ささいなきっかけが、そのあとの私の財産になったと思う。
小説を読む過程で、夏目漱石に傾倒し、小学生の時に母と交換しながら読んだシャーロック・ホームズを改めて読み、社会人になって通勤や帰宅の車中では父が読んでいた内田康夫の浅見光彦シリーズを集めて読んだ。
古本屋で手に取った、藤沢周平の孤剣シリーズや、風野真知雄の耳袋秘帖シリーズなど物語的時代小説に夢中にもなった。また、最初は映画から、ロング・グッバイのレイモンド・チャンドラーが好きになったりした。
図書館で、ミルチャ・エリアーデに魅了され、あるときは会社の人が進めてくれた浅田次郎の天きり松闇がたりを読んだ。
小説との出会いは、少なからず人や場所からの影響があると思う。
家族や友人が読んでいた本、学生時代に通った坂の途中の古本屋や、家から一番ちかい、同級生の家がやってる本屋。量販的な書籍店とは違って、個人から個人へ伝わる何かがある気がする。
これからも小説を読んでいくと思うが、出会いを大事に、結びつけてくれた人に感謝したいと思う。
先輩は今、どんな本を読んでいるのだろう。
もしも再会することがあるとしたら、人生の幅を広げるきっかけをくれたお礼を、いいたいと思う。